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『THE BATMAN-ザ・バットマン-』は異質の作風ながら、実はド直球の「ヒーロー映画」なんじゃないかとか考える(超ネタバレあり)

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(C)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC

何度も公開延期を繰り返し(仕方ないですが…)いよいよ公開された、バットマン映画の新作『THE BATMANザ・バットマン-』。

バットマン映画は、2008年に一大ブームを巻き起こした『ダークナイト』の印象が強いですが、『THE BATMANザ・バットマン-』はバットマンを始めて2年目のブルースを主人公に、リドラーが仕掛けた謎に挑む、かなりサスペンス色の強い作品になっています。

新たな方向性が打ち出された『THE BATMANザ・バットマン-』。

しかし、その内容を考えると、込められたメッセージは「ヒーロー映画の王道」とも呼べる内容で、2019年に公開され、これまた一大ブームを巻き起こした『ジョーカー』への、強烈なアンサーだったのでは?と感じましたので、深掘りしていきたいと思います。

『THE BATMANザ・バットマン-』あらすじ

犯罪都市ゴッサムシティ。
過去に両親を殺された過去を持つ、ブルース・ウェインは「恐怖」の力で街を抑制する事を決意。
「恐怖」の象徴である、バットマンとして、人知れず街を守っていた。
バットマンとしての戦いを始めた2年目に、街の権力者が次々に殺される事件が発生、背後にいるのは「リドラー」と名乗る、知能犯の存在だった。
リドラー」を追い詰めようとするブルースは、次第に自らの過去と対峙するようになる。

何者にもなれていないブルースの苦悩

バットマンと言えば、アメコミの代表的なヒーローで、あまりアメコミを知らない人達でも、一度は聞いた事があるビッグネーム。
主人公のブルース・ウェインは、昼間は青年実業家、夜はバットマンとして悪と戦うという、限られた人間にしか正体を知られていない、孤独なヒーローという印象が強いです。
これまでのバットマン映画は、だいたい、この設定が反映されていました。

ですが『THE BATMANザ・バットマン-』の、若き日のブルースは、昼間は青年実業家どころか、ほとんど外に出ません。
たまに街に出たら、マスコミが騒ぐ程なので、そうとうな引きこもりです。
ブルースは屋敷に閉じこもり、バットマンの活動を維持する為に親の財産を使っているという、これまでのバットマン映画とは違う、斬新な描かれ方がされています。

また、バットマンも2年目なので、いまいちゴッサムシティに浸透しておらず、警察に「怪しい奴」扱いをされたり、悪党の前に現れても半笑いで挑まれるなど、正直なめられた存在になっています。

犯罪抑止の為に、バットマンとして悪党に「恐怖」を与えたいが、なかなか思うようにいかず、ヒーローになり切れていない。
それが『THE BATMANザ・バットマン-』のバットマンであり、ブルース・ウェインなのです。

知能犯リドラーとの戦いに込められた『ジョーカー』への強烈なアンサー(ネタバレ)

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(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

これまでとは違うキャラクターとして描かれるバットマン
そのバットマンと戦うのは、知能犯リドラーです。
リドラーは、バットマンを代表する悪役で「リドル(なぞなぞ)」を出すのが大好きなキャラクターで、映画『バットマン フォーエヴァー』やドラマ『GOTHAM/ゴッサム』にも登場しています。

『THE BATMANザ・バットマン-』では、法廷会計士のエドワード・ナッシュトンがリドラーの正体です。
ここまでバットマンは、リドラーにいいように振り回され、なかなか正体に迫る事が出来なかったのですが、結構あっさりエドワードは逮捕されます。
ですが、これもエドワードの計画の1つでした。

エドワードは、早くに親を亡くした孤児で、両親を亡くしたという点ではブルースと同じ。
ですが、屋敷から出なくても注目されているブルースとは違い、エドワードの存在は誰も知りません。
まるで最初から存在しなかったように…。

この「存在しない者達」が集結し、言わば「リドラー」という組織のようになります。
クライマックスでは、この「存在しない者達」とバットマンの戦いが描かれるのですが、「存在しない者達」の反乱と言えば『ジョーカー』のクライマックスもそうでしたね。

『ジョーカー』では、自分を馬鹿にしたテレビの人気司会者を撃ち殺した、主人公のアーサー・フレックが、抑圧されたゴッサムシティのカリスマとなり、暴動の象徴となります。
『ジョーカー』では「存在しない者達」視点でしたが、『THE BATMANザ・バットマン-』では、「存在しない者達」と対峙するブルースの視点。
ゴッサムシティが、さらに混沌に陥り、秩序が崩壊する事を食い止めます。

そしてラストでは、市民を救助するバットマンの姿が、大きく報道され、バットマンは真のヒーローとなっていきます。

『ジョーカー』が大ヒットした2019年は『パラサイト 半地下の家族』が話題になり、その前年の2018円は『万引き家族』が大ヒット「抑圧された、存在しない者達」の怒りや、やるせなさを描いた作品が多かったです。
その為、『ジョーカー』のクライマックスは、めちゃくちゃ強烈でしたが、『THE BATMANザ・バットマン-』では「それでは何も解決しない」と問題定義をしています。

全ての人間が認め合い、互いの意見を聞き、反映する事で作り出される「秩序」。
「それこそが理想である」と語りかけるような『THE BATMANザ・バットマン-』のメッセージは、『ジョーカー』へのアンサーとも受け取れます。
『THE BATMANザ・バットマン-』は、これまでにとは違う引きこもりのブルースや、新たな解釈のリドラーによるサスペンス強めの作風など、いわゆる「ヒーロー映画」とは違う、異質の雰囲気を持っていますが、込められたメッセージはド直球の「ヒーロー映画」だと感じました。